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東京高等裁判所 昭和63年(行ケ)216号 判決

一 請求の原因一ないし三(特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び審決の理由の要点)は当事者間に争いがない。また、右当事者間に争いのない本願発明の要旨に徴すれば、本願第一、第二発明はそれぞれ特許請求の範囲第一、第二項記載の化合物名及び融点からなる化学物質に係る発明であること(なお、成立に争いのない甲第二号証の一ないし四によれば、各発明の有用性はその有する冠状動脈拡張作用にあることが認められる。)、本願第三、第四発明は、特許請求の範囲第三、第四項記載のとおり、それぞれ右第一、第二発明の化学物質を必須成分とし、専ら右属性を利用してなる冠状動脈拡張剤であることが明らかである。

二 取消事由に対する判断

1 取消事由(1)について

原告が取消事由(1)として主張するところは、要するに、引用例には、審決摘示のとおりの記載文言はあるが、実質的にはその記載文言に沿う化学物質の開示がなされているとは認められないという点にあると解されるので、以下、この点について判断する。

(一) 成立に争いのない甲第三号証によれば、引用例は、良好な冠状動脈拡張作用を有する7―オキシ(ヒドロキシ)クマリン誘導体の製造法に係る発明の公告公報であるが、これに記載された実施例(製造例)のうち実施例1、3には、3―β―ジエチルアミノエチル―4―メチル―7―オキシ―クマリン―ヒドロクロライド(公知化合物であることにつき当事者間に争いがない。)をハロゲン(実施例1では臭素、実施例3では塩素)化して得たハロゲン化物(実施例1では8―ブロモ―3―β―ジエチルアミノエチル―4―メチル―7―オキシ―クマリン―ヒドロブロマイド、実施例3では8―クロロ―3―β―ジエチルアミノエチル―4―メチル―7―オキシ―クマリン―ヒドロクロライド)を出発物質としてエーテル化することにより、目的物質として、実施例1においては8―ブロモ―3―β―ジエチルアミノエチル―4―メチル―7―エトキシ―カルボニル―メトキシ―クマリン(8―ブロモ置換体。なお、これが本願第二発明の化学物質を特定する化合物名と一致することは当事者間に争いがない。)の塩酸塩(融点一七七℃)が、実施例3においては8―クロロ―3―β―ジエチルアミノエチル―4―メチル―7―エトキシ―カルボニル―メトキシ―クマリン(8―クロロ置換体。なお、これが本願第一発明の化学物質を特定する化合物名と一致することは当事者間に争いがない。)の塩酸塩(融点一八八℃)がそれぞれ得られることが記載され、また、右8―ブロモ置換体及び8―クロロ置換体の各塩酸塩の冠状動脈拡張作用を公知化合物(パパペリン等)のそれと比較した試験結果が記載されていることが認められる。

(二) 右によれば、引用例には、それが単一化合物であるか否かはともかく、実施例1、3記載の製造法により、目的物質として、化合物を特定するに足りる化合物名において本願第一第二発明のものと完全に一致する8―ブロモ置換体及び8―クロロ置換体が得られる点が明記されており、また、その薬理活性(冠状動脈拡張作用)に関し、実施例1、3においては、右8―ブロモ置換体及び8―クロロ置換体が活性成分である点が示されていることが認められる。しかも、前掲甲第三号証に徴すれば、右実施例1、3記載の製造法は、原料物質、反応方法、反応割合、単離工程、融点等を詳細に記載したものであつて、これに従い当業者がいつでも追試可能な程度のものであることが認められる(現に、原告が実施例3に関し追試をなし、その結果、8―クロロ置換体三六モルパーセント、6―クロロ置換体三四モルパーセントが得られたことにつき当事者間に争いがない。)。

そうであれば、引用例には、化学構造の特定された化合物として8―ブロモ置換体及び8―クロロ置換体の各塩酸塩が当業者が容易に実施することができる程度に記載されておりしたがつて、右各化合物についての開示があるものと認めることができる。

(三) これに対し、原告は、前記原告主張の理由として、<1>引用例(実施例1、3)記載の製造法によつて得られる生成物は引用例記載のように8―ハロゲン置換体の単一化合物ではなく、実際には、これと6位がハロゲン化された置換体等との混合物にすぎず、しかもこれから8―ハロゲン置換体を分離精製することはできないものであるから、このような引用例の記載をもつて8―ハロゲン置換体を開示したものとはみられないこと(請求の原因四1(一))、<2>引用例が記載する実施例1、3の生成物の塩酸塩の融点と本願第一、第二発明が示す純粋な8―ハロゲン置換体の塩酸塩の融点との間には二六ないし三二℃もの差があり、化学物質の重要な同定資料である融点においてこれほど違えば右各実施例記載の生成物をもつて8―ハロゲン置換体とみることはできないこと(同(二))<3>引用例に8―ハロゲン置換体が開示されているというためには、その生成を客観的に確認し、同定し得る資料の記載があることが不可欠であるところ、引用例に記載された唯一の同定資料である融点の記載は<2>で述べたところからも明らかなように8―ハロゲン置換体とは無関係なものの融点とみるほかないものであるから、同定資料は皆無であり、また、引用例に対応する米国特許では置換位置が特定されていないこと等からして、実際には、引用例は8位がハロゲン化された点を実験で確認することなく単なる想定で記載したものと解するほかなく、このような引用例の記載によつては8―ハロゲン置換体の開示があつたものとすることはできないこと(同(三))を挙げている。

しかしながら、まず<1>の点についてみるに、仮に原告主張のとおり、引用例(実施例1、3)記載の製造法によつて得られる生成物が、実際には8―ハロゲン置換体と6位がハロゲン化された置換体等との混合物であるとしても、原告がなした追試によつても、現に、8―クロロ置換体が6位がクロロで置換された置換体三四モルパーセントよりも僅かとはいえ多い三六モルパーセント得られていることからも(この点は当事者間に争いがない。)、そこに含まれた8―ハロゲン置換体が微量の不純物とみなし得るようなものでないことが窺われ、また、8―ハロゲン置換体のみを分離精製できないとの点も、これを不可能とすべき証拠はないのみならず、かえつて、成立に争いのない甲第四、第五号証では同様なハロゲン化物において8位と6位等の位置異性体間の分離が明確になされていることが認められるのであるから、原告主張の点をもつて引用例による8―ハロゲン置換体の開示の事実を否定することはできない(ちなみに、原告は、引用例の実施例1、3の記載が単一化合物が生成されたものであることを示したものである旨主張しているが、一般に化学物質の生成において目的物質以外の不純物が混入しやすいことは成立に争いのない甲第九号証等の記載からも窺われるところ、引用例には、実施例1、3の他にも一二の実施例が記載されているが、いずれも実施例1、3と同様、目的物質のみの記載にとどまつていることに照らすと、引用例がこれらをいずれも純粋な単一化合物が得られたものとして、また、その認識の下に記載しているものか否かは、にわかに断じがたいところである。)。

次に<2>の点についてみるに、本願第一、第二発明の8―ハロゲン置換体及び引用例の実施例1及び3の生成物の各塩酸塩の融点が原告主張のとおりであることは当事者間に争いがないが、本願第一、第二発明の示す融点が8―ハロゲン置換体の融点として正確なものであるとしても、原告の追試結果が示すように引用例の生成物が混合物であるとすれば、融点降下によりこの程度の融点の差異が生ずることは必ずしも異とするに足りないから(なお、この点は、化合物の純度が変化すれば融点が変動することが自明である点は当事者間に争いがないこと及び前掲甲第九号証の記載、殊に「このような混融効果は二〇~三〇度の大きさになることもしばしばで」(九頁一一行ないし一二行)との記載に徴し明らかである。)、この点を引用例に8―ハロゲン置換体の開示がないとする理由とすることはできない。

更に<3>の点についてみるに、新規化合物に関する開示が認められるためには、それを特定するに足りる化合物名又は化学構造式のみでなく、少なくとも当業者においてその生成を推認することができる程度にこれを裏付け得る記載が必要であるというべきであるが、その資料としては必ずしも原告が列挙するような同定資料に限られるものではないと解すべきところ、まず融点について、仮に引用例の記載が不正確であるとしても、前記のような不純物の存在による融点降下を考慮すれば、原告主張のように8―ハロゲン置換体とは無関係の融点が記載されているにすぎないとまで断ずることはできないし、融点の点を措いても、前記1(二)において認定したように引用例の実施例1、3には当業者がいつでも追試して記載内容を確かめることができる程度に詳細な製造方法が記載されているのであり(前記のように、現に原告はその記載に従つて追試をしている。)、また、そこに記載された原料物質、反応方法、反応割合、単離工程等の記載や、いずれも引用例より二〇年近く前の刊行物である前掲甲第四号証(昭和二七年二月発行)、第五号証(昭和二四年八月発行)の記載を参酌すれば、当業者であれば、右各実施例記載の製造方法により少なくとも8―ハロゲン置換体が生成されるであろうことは容易に推認し得るところといわざるを得ない。更に、置換位置の点についても、引用例に対応する米国特許(成立に争いのない甲第六号証)が置換位置を特定していないことは当事者間に争いがないが、それだけで引用例が想定のみで置換位置を8位と特定したものと断定することができないことはいうまでもなく(なお、前掲甲第二号証の一ないし四によれば、同じく右米国特許に対応することの明らかな英国特許でも置換位置が8位として特定されていることが認められる。)、他に引用例の置換位置が想定によつて記載されたことを認めるに足りる証拠も見当たらないのであるから、先に認定したような記載内容を有する引用例の実施例1、3の記載をもつて、原告主張のようにハロゲン化物の置換位置を想定のみで記載したものと断ずることはできない。したがつて<3>の点の原告主張も、前記(二)の認定判断を妨げるに足りるものではなく、本件全証拠を検討しても他にこれを左右するに足りる証拠はない。

(四) そうであれば、原告主張の取消事由(1)は理由がなく、以上と同旨の認定判断の下に本願第一、第二発明が引用例と別異の化合物を提供したものとはいえないとした審決の認定判断は正当である。

2 取消事由(2)について

(一) 本願第一、第三発明の冠状動脈拡張剤が必須成分とする8―ハロゲン置換体と引用例の実施例3、1記載の8―ハロゲン置換体が同一であることは、前記1で認定説示したところから明らかである。

(二) また、原告の主張する用途の点について検討するに、前記1の(一)、(二)で認定したとおり、引用例には実施例1、3記載の8―ハロゲン置換体が冠状動脈拡張作用を示す活性化合物として記載されていることに照らせば、引用例にも8―ハロゲン置換体を冠状動脈拡張剤の必須成分として用いる点が開示されているというべきであるから、この点でも審決の認定に誤りはない。

原告は、両者の用途を同一とみるべきでない理由として、混合物にすぎない引用例の実施例1、3の生成物は、構造が明らかであり、かつ純粋であることが要求される医薬としては使用できない点を挙げているが、医薬としての用途において原告主張のような点を必須不可欠の要件とすべき根拠は見出しがたいから、引用例の8―ハロゲン置換体が原告主張のように混合物であるとしても、そのこと故に、前記認定を覆し、引用例記載のものが本願第三、第四発明のものと用途を異にするものと認めることはできないし、他に前記認定を左右するに足りる証拠もない。

(三) そうであれば、原告主張の取消事由(2)も理由がない。

3 以上のとおり原告主張の取消事由はいずれも理由がなく、また、本件記録を精査するも、他に審決を取り消すべき事由は見当たらない。

三 よつて、原告の本訴請求を失当として棄却する。

〔編注〕本願発明の要旨は左のとおりである。

1 その塩酸塩の融点が約二一九ないし二二〇℃である実質的に純粋な8―モノクロロ―3―(β―ジエチルアミノエチル―4―メチル―7―エトキシカルボニルメトキシクマリン(以下「本願第一発明」という。)。

2 その塩酸塩の融点が約二〇二ないし二〇三℃である実質的に純粋な8―モノブロモ―3―(β―ジエチルアミノエチル―4―メチル―7―エトキシカルボニルメトキシクマリン(以下「本願第二発明」という。)。

3 その塩酸塩の融点が約二一九ないし二二〇℃である実質的に純粋な8―モノクロロ―3―(β―ジエチルアミノエチル―4―メチル―7―エトキシカルボニルメトキシクマリンを必須成分とする冠状動脈拡張剤(以下「本願第三発明」という。)。

4 その塩酸塩の融点が約二〇二ないし二〇三℃である実質的に純粋な8―モノブロモ―3―(β―ジエチルアミノエチル―4―メチル―7―エトキシカルボニルメトキシクマリンを必須成分とする冠状動脈拡張剤(以下「本願第四発明」という。)。

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